日本大通りは、R.H.ブラントンの設計により明治3年にほぼ完成、同8年に命名さ れた日本で初めての西洋式街路です。この日本大通りは、神奈川県庁や横浜開港資料館、横浜郵便局、旧商工奨励館、旧市外電話局、横浜地方・簡易裁判所、三井物産横浜ビル、旧関東財務局など、重要な施設の立ち並ぶ街路であり、明治時代には、人力車や車が行き交う街のメインストリートとしての役割を果たしていました。幾度となく整備されてきた日本大通りですが、その道幅は大変広く、当初から36メートルの幅員を持ち、両側に3メートルの歩道、9メートルの植樹帯を備えた通りでした。関東大震災の復興整備によって22メートルの幅員、歩道は植樹帯も含めて7メートルにも削られましたが、2002年の再整備によって当初の幅員に近い13.5メートルの幅員を取り戻すことができました。また、日本初の西洋式公園「横濱公園」と、横浜初の波止場「象の鼻地区」をダイレクトに結ぶ通りでもあり、将来はそれらをつなぐ道路にもなっていくであろうと言われています。