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Street History

The Story of Nihon Odori

日本大通りのこれまで

 日本大通りは、明治期横浜のまちづくりに貢献したイギリス人技師R.H.ブラントンによって設計されました。路面に砕石補装がなされ、地中には陶管による下水道が備わった日本で初めての西洋式街路です。明治3年頃にほぼ完成し、同12年に外国人居留地の町名の一つとして、正式に「日本大通り」と命名されました。
 現在この日本大通りは、神奈川県庁や旧イギリス総領事館(横浜開港資料館)、旧横浜商工奨励館(横浜情報文化センター)、旧横浜市外電話局(横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館)、旧横浜地方裁判所(横浜地方・簡易裁判所)、旧三井物産横浜ビル、旧関東財務局横浜財務事務所など、重要な歴史的建造物が建ち並ぶ街路であり、明治時代には、人力車や馬車が行き交う街のメインストリートとしての役割を果たしていました。
 幾度となく整備されてきた日本大通りですが、その道幅は大変広く、当初から36メートルの幅員を持ち、12メートルの車道の両側に、3メートルの歩道、と9メートルの植樹帯を備えた通りでした。関東大震災の復興事業では、車道は22メートルに拡幅され、現在のイチョウ並木が整備されました。そして2002年の再整備によって、車道は明治時代当初の幅員に近い13.5メートルの幅員となりました。
 また日本大通りは、ブラントンが同時に設計し、明治9年に開園した歴史をもつ「横浜公園」と、開港当初の波止場「象の鼻地区」をダイレクトに結ぶ通りでもあり、関内地区の異国情緒ある街並みの歴史を現在に伝える通りと言えます。

  • 1854
    ペリー提督・将兵の横浜上陸図

    日米和親条約締結。(現在の横浜開港資料館付近)

    1854(安政元)年3月8日(旧暦で2月10日)、アメリカ東インド艦隊司令長官のペリー提督が横浜に上陸し、条約をめぐる幕府との交渉が始まった。そして3月31日(旧暦で3月3日)、日本の開国を決定づけた日米和親条約が締結された。

  • 1858

    日米修好通商条約締結。

    日本が開国すると、アメリカは駐日総領事ハリスを派遣して、港を開いて貿易をおこなうため、通商条約の締結を目指した。1858(安政5)年7月29日(旧暦で6月19日)、幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結し、函館・新潟・神奈川・神戸・長崎の5港が開港することになった。幕府は同年中に、オランダ・ロシア・イギリス・フランスの各国とも同様の通商条約を結んだ。

  • 1859
    神名川横浜新開港図

    横浜開港。国内外から貿易商が横浜に集まり始める。

    幕府は東海道沿いにある神奈川宿を避けて、対岸の横浜村一帯を開港場と決定する。諸外国は条約上「神奈川」であると反発し、各国の領事館を神奈川宿に設けて反対するが、幕府は着々と横浜村に開港場建設をすすめ、1859(安政6)年7月1日(旧暦で6月2日)、のちに国際貿易都市として発展する横浜が開港した。

  • 1866

    横浜大火で関内地区の大部分が焼失する。

  • 1867

    横浜とサンフランシスコを結ぶ北太平洋定期航路が開設。

  • 1869

    居留地172番地(現在の横浜開港資料館所在地)にイギリス領事館が完成。

  • About 1870
    明治時代の日本大通り

    イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンによる外国人居留地の道路整備がほぼ完成する。

    イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1870年(明治3年)頃に日本初の西洋式街路としてほぼ完成した。1866(慶応2)年の大火を受けて、防火道路として計画された日本大通りは、歩道3メートル・植樹帯9メートルを含む36メートルの幅員を持ち、東側の外国人居留地(現在の山下町一帯)と西側の日本人市街を隔てる役割を果たした。

  • About 1875

    居留地234番地(現在の横浜情報文化センター所在地)にアメリカ領事館が完成。ほかスイス領事館、ロシア領事館なども次々と完成し、日本大通りに多くの外国領事館が並び立つ。

  • 1876

    本町通り沿いに横浜郵便局が完成。

  • 1879

    外国人居留地に「日本大通り」を含む30の町名が付けられる。

    1879年(明治12年)に外国人居留地(現在の山下町一帯)に町名が設けられ、現在の日本大通りの東側一帯に「日本大通」の町名が付けられた。

  • 1883

    神奈川県庁が日本大通りの現在地に移転(2代目庁舎)。

  • 1885

    日本大通りの突き当りに、煉瓦造の横浜税関が完成。

  • 1894

    鉄製さん橋(現在の大さん橋国際客船ターミナル)完成。

  • 1896

    日本郵船により三大定期航路(欧州、豪州、アメリカ)が開設。

  • 1899

    条約改正により外国人居留地廃止。旧居留地の町名は「山下町」に。

  • 1909

    横浜市電が日本大通りを通るようになる。

  • 1911

    日本最初の鉄筋コンクリートオフィス、三井物産横浜支店が完成。

  • 1923

    関東大震災により日本大通り一帯が壊滅。復興事業で銀杏の木68本が街路樹として植えられる。

    関東大震災で当初の植樹帯は焼失し、昭和2年(1927年)から3年がかりで68本のイチョウが植えられた。

  • 1927

    ホテルニューグランドが開業。

  • 1928

    神奈川県庁舎が完成。

  • 1929
    震災復興期の日本大通り

    横浜商工奨励館、横浜中央電話局(のち横浜市外電話局)、横浜地方裁判所、横浜公園球場などが完成。

  • 1930

    山下公園が整備され、市民の憩いの場となる。

  • 1945

    第二次世界大戦による横浜大空襲で周辺地域が甚大な被害を受ける。

  • 1951

    サンフランシスコ平和条約の調印。

  • 1952

    大さん橋の接収が解除される。その他接収地区の解除が始まる。

  • 1965
    みなとみらいや横浜ベイブリッジの原形となる横浜市の六大事業構想が発表される

    みなとみらいや横浜ベイブリッジの原形となる横浜市の六大事業構想が発表される。アルテリーベが旧横浜商工奨励館に開店。

  • 1978

    横浜スタジアムが完成。

  • 1981

    旧イギリス総領事館を活用して、横浜開港資料館がオープン。

  • 1989
    横浜ベイブリッジ開通

    横浜ベイブリッジ開通。

  • About 1990

    みなとみらい21地区の開発が進行し、周辺地域の景観が大きく変化。

  • 2000

    旧横浜商工奨励館、横浜地方裁判所が修復保全しながらリニューアル。

  • 2002

    日本大通りの再整備。明治時代の道路幅に近い形に復元。横浜港大さん橋国際客船ターミナルがオープン。FIFAワールドカップ日韓大会開催。日本大通り活性化委員会発足。

    関東大震災の復興事業により幅員が削られ、植樹帯は銀杏並木に変えられたが、2002年(平成14年)の再整備により、完成当時に近い規模に復元された。港郵便局前交差点と開港資料館前交差点の間は国道133号の一部となっており、それ以外の区間は横浜市道日本大通となっている。

  • 2002

    旧横浜市外電話局を活用して、横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館がオープン。

  • 2004

    みなとみらい線開通。

  • 2007

    日本大通りが国登録記念物となる。

  • 2009

    横浜開港150周年。日本大通りで「ラ・マシン」によるパフォーマンス。象の鼻パークが再整備され、日本大通りから海が見えるようになる。

  • 2020

    横浜スタジアムが東京オリンピックの会場となる(無観客開催)。

  • 2023

    一般社団法人日本大通りエリアマネジメント協議会発足。

  • 2024
    日本大通り商店会発足

    日本大通り商店会発足。

Introduction of Historic Monuments and Landmark

日本大通りには、数多くの歴史的建造物が集積しており、風格ある街並を形成しています。

歴史的建造物及びランドマークの紹介
日本大通り
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現存する歴史的建造物について

  • 横浜地方裁判所

    1 横浜地方裁判所 (1929年竣工)

    旧建物は、県庁と並ぶ戦前横浜の官庁建築の代表作。左右対称の日の字型の平面やスクラッチタイルの外壁など、昭和初期における公共建築の典型的な意匠を持つ。新庁舎建設に伴い、低層部に旧建物を復元。市認定歴史的建造物。

  • 神奈川県庁舎

    2 神奈川県庁舎 (1928年竣工)

    関東大震災で焼けた県庁本庁舎に代わる4代目。象徴的な高い塔と鉄骨鉄筋コンクリート構造で新時代を拓いた庁舎で、知事が執務する現役の庁舎としては、大阪府庁本館に次いで全国で2番目に古い。令和元年に国の重要文化財に指定された。横浜三塔の一つ「キングの塔」の愛称で知られる。

  • 旧三井物産横浜ビル

    ▲旧風景

    3 旧三井物産横浜ビル (1911年竣工)

    1号ビルはわが国最初の鉄筋コンクリートビルとして名高く、西欧における新様式、ゼツェッションを反映した建築であり、欧米の鉄筋コンクリートに10年と遅れぬ先駆的作品。明治44年竣工。関東大震災も耐えた建物。震災後に同じ外観デザインで2号ビルが増築された。

  • 横浜開港資料館(旧横浜英国総領事)

    ▲旧風景

    4 横浜開港資料館(旧英国総領事館, 1931年竣工)

    中庭にある玉楠の木の近くで日米和親条約が結ばれたという土地に建つこの建物は、昭和47年まで英国総領事館として使われていた。設計も英国工部省らしく18世紀のジョージアンスタイルの都市邸宅を彷彿とさせるデザイン。市指定文化財。横浜の国際交流史を伝える重要な建物。

  • 横浜情報文化センター(旧横浜商工奨励館)

    5 横浜情報文化センター(旧横浜商工奨励館, 1929年竣工)

    関東大震災後の横浜商工業界の復興を図る目的で、横浜市によって建設。クラシックなスタイルに、アールデコ的な意匠を加えた横浜の震災復興建築の代表的存在。高層棟を増築し、横浜情報文化センターとして生まれ変わった。市認定歴史的建造物。

  • 横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館(旧横浜市外電話局)

    6 横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館(旧横浜市外電話局、1929年竣工)

    横浜中央電話局の局舎は大正時代に新局舎の建て替えが進められていたが、竣工直前に関東大震災に遭い、現存する建物が改めて建築された。戦後も横浜市外電話局として使用されてきたが、横浜市の展示施設として保存・活用されることとなり、2003年現在の横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館がオープンした。市認定歴史的建造物。

  • 旧関東財務局

    7 旧関東財務局横浜財務事務所 (1930年竣工)

    昭和3年、日本綿花株式会社横浜支店として創建。昭和35年、関東財務局横浜財務部として使用開始。外壁全面にスクラッチタイルを張り、玄関廻り、腰壁、コーニスなどの要所に石やテラコッタを用いた外観が特徴的。倉庫棟を伴った商社のオフィスビルとして希少であり、横浜の昭和初期のオフィスビルの一例を示す。市指定文化財。

  • 横浜税関庁舎

    8 横浜税関 (1934年建立)

    関東大震災までは日本大通りの突き当りに煉瓦造の税関庁舎が位置していたが、震災で倒壊し、昭和9年に現在地へ移転して再建された。イスラム風のドームを備えた塔が特徴的で、横浜三塔のひとつ「クイーンの塔」の愛称で親しまれる。

一般社団法人
日本大通りエリアマネジメント協議会​

事務局:〒220-6004 横浜市西区みなとみらい2-3-1 クイーンズタワーA 403B(ルーデンス株式会社内)